| 本能寺跡 京都市中京区油小路通蛸薬師南東角 |
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本能寺というと天正十年(1582年)、明智光秀が織田信長に謀反した「本能寺の変」の舞台として有名ですが、当時の本能寺は現在の場所(寺町通御池下がる東側)とは違いここにありました。
建立された応永二十二年(1415年)当初は「本応寺」といったそうです。その後に破壊と焼失があったのですが天文十四年(1545年)この地で 「本能寺」として再建されました。 現在の地に移ったのは豊臣秀吉が区画整理を行った天正十七年(1589年)だそうです。恥ずかしながら僕も知りませんでした。 ちなみに現在は発掘作業が行われていますので中に入ることはできませんが、外から見ることはできますよ。 |
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| 五條天神宮(天使宮) 京都市下京区西洞院通松原下がる西側 |
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社伝によると、平安遷都(794年)にあたり、空海が天神をこの地に勧請したのが始まりだそうです。 ここには神王の命を受け天降りしてきたといわれる医薬の祖神少彦名命(すくなひこなのみこと)、国造りに尽力を尽くしたといわれる大巳貴命(おおなむちのみこと)、そして太陽、健康の神、天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀ってあります。
当時の境内は今の天神さんのある松原通(この通りは昔、五条通だったそうです。)から六条通あたりまでととても広大で、社殿も非常に立派なものだったそうです。
ですから洛中では清水寺と並んで平安京を守護する役割を担っていたそうです。 |
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| 新玉津嶋神社 京都市下京区烏丸通松原西入南側 |
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社伝によると、平安末期の文治二年(1186年)、歌人である藤原俊成が、和歌の守り神である紀州玉津島神社の玉津嶋明神、衣通郎女命(そとおりひめのみこと)を勧請し、自分の住んでいた邸地に歌門の氏神として奉祭し社殿を造営したことから始まるそうです。
天和三年(1683年)には国学者で歌人の北村季吟が祠官となってここに6年間居住し、社を修復したり、社記を書いたそうです。俳諧の宗匠、松尾芭蕉もここで季吟に歌道を学んだそうですよ。
また現在では週二回(火曜日14:00〜19:30、水曜日17:00〜19:00)、神社内でお花のお稽古もされているそうです。見学もお気軽にどうぞ、とのことでした。 |
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| 藤原俊成社 京都市下京区烏丸通松原上がる東側 |
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新玉津嶋神社から少し歩いたところにあります。 俊成の邸宅跡で、後世の人々が俊成の霊をここに祀ったといわれています。俊成は平安末期から鎌倉初期を代表する藤原定家の父で、後白河法皇の命により「千載和歌集」を撰しました。
そんな著名な人物の社が京都市のビジネス街を南北に通る烏丸通沿いにひっそりあるんです。 「おそるべし京都」って感じです。 |
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